ひよぷら日記

ひよっこプランナーが日々思ったことをつらつらと。自分の備忘録として。 メディアとかマーケティングとか広告とか。

センスのいいケータイサイトってなんだろう

最近ものすごい勢いでケータイにハマっている。
今日も某消費財メーカーのケータイサイトを見ながら帰宅。

ところで、私は「いいなーこれ!」と思ったサイトは
いくつかに分類して観察しています。

ものすごくざっくりな話だけすると、
1)旧来メディアの中身をそのまま持って来ちゃうもの
2)古い言い方でいうと2.0なやり方のもの
3)もう一種の革命、歴史を変えてしまうような技術によるもの

もちろん最後のはほとんど存在しない。

体力あれば1番のやり方だけでも、いいと思う。
いや、そこためらわないでいいと思うの。
そういうのは古い、1.0だ、みたいな説もあるけど。
思いっきりやれば逆にメジャー感あると思う。

ただ、旧来メディアと同じようにやっちゃうと、センスないわけで。

話が飛躍したように感じられるかもしれないが、
日本語と英語のあいだには、微妙なニュアンスがあるのと
同じように、旧来メディアとケータイのあいだには、
微妙な差があるように思う。

たとえば、日本語のさみしい、とか、よろしく、
と全く同じ言葉は、英語にない。もちろん似たのはあるけれど、
日本語の多義性をそのまま1語で受け止められていない。

逆ももちろんあって、私はいまだに、英文メールの最後の
regardsって変だよな、と思っている。
これは仏語の「見る」から来ているから
違和感あって当然なんだけど。
どうもそっち(外国)のほうでは、人を見る、ことは敬意を表すようだ。
日本だと、どっちかというと、はっきりと人を「見る」ことは
失礼にあたるように私は受け止めているけれど。
(平安時代の偉い人のすだれとかね)

言語学の専門ではないので、間違っていたら、笑ってね、という
レベルではあるんだけど、でも確実になんとなく感じている違和感はある。

それと同じように、ケータイには
ケータイ文化があり、ケータイ語があり、ケータイ文脈がある。
それをうまく理解して旧来メディアの内容をtranslate
すると、センスいいね、ということのような、
そんな気がする。

余計な補足かもしれないですけど、
たとえば、ウェブだと違和感ない文章が、
ケータイだと重い、まどろっこしいみたいな、そういうことを
はじめとする、いろいろな差のことです。

それを当たり前だろ、と捉えるより、
言語と同じように思いやりとチャーミングさをもって取り組めたら
素敵だなと思うのです。

きっとケータイ語を話すことができる人たちにとっては、
とても自然なことだろうなと思うとうらやましいですね。
ちょうど仏語しゃべれたらなあと思うのと同じノリでうらやましい。

あー、でも私の職種はWEBプランナーではないのでした。うん。

  1. 2008/03/11(火) 00:43:48|
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